諂諛

音楽好きによる音楽好きの為の雑記。

しりとり名曲紹介 No.18 [ジムノペディック / 藍坊主]

 

今年も暑い季節がやってきましたが、梅雨明けまでは部屋のクーラーを絶対に付けないという重いカルマを背負っている皆様の悲鳴が私には聞こえます。

 

そんなガラス玉粉々にぶち砕いて、休日の昼間ぐらいは涼しい部屋でSyrup16gでも聴きましょう。神のカルマだけに。

 

 

 

概要

 

・邦楽オタクの僕が、人生で特に影響を受けた楽曲、音楽ファンなら絶対に聴くべき往年の名曲、時代と共に完全に忘れられつつある超・隠れた名曲を紹介するコーナーです。

・その名の通り紹介する楽曲の名前を、しりとりで繋いでいくというマゾ縛りとなっています。

・基本的にアーティストの被りは無し、「ん」で終わる曲は1つ前の文字を繋いで続行します。

(例)にんじゃりばんばん → 「ば」から始まる曲を次回紹介。

 

 

ジムノペディック / 藍坊主

 


1999年結成、2004年にトイズファクトリーからメジャーデビューした4人組ロックバンド。

バンド名は、高校生の時に組んだザ・ブルーハーツコピーバンド「ザ・ブルーボーズ」のブルーを"藍"に、ボーズを"坊主"に変えたものが由来となっています。

 

この楽曲は、2006年にリリースされたアルバム「ハナミドリ」に収録された楽曲。藍坊主の中でも屈指の名曲とファンの間で評価されることの多い、とても人気の高い曲の一つ。

かくいう筆者も藍坊主のファンで、シングルも全部持っているほど大好きなのですが、ジムノペディックは藍坊主の中でも3本の指に入る傑作だと思います。

 

 ただ、藍坊主の歴史というかサウンドの変化について、初見の方には説明しないとややこしい大きな変化があるので簡単に説明します。

 

 

 

深化する哲学世界

 

 

初期の藍坊主は一言でいうと、青春パンクを軸にしたストレートで男臭いロックをやっていました。この頃から作詞作曲を担当するのはhozzyこと佐々木健太(Vo.)と、藤森真一(Ba.)の二人が主ですが、二人の曲にはっきりした違いはありませんでした。

 

 

そこからメジャー2ndアルバム「ソーダ」をリリースするのですが、このアルバムの収録曲の一部から、hozzyこと佐々木健太(Vo.)の歌詞が難解で哲学的な内容に変化します。

アルバム中の「水に似た感情」という楽曲は、サウンドからも青春パンク期の面影がまったくないほど実験的で不思議な曲になっています。良曲。

 

そこからメジャー3rdアルバム「ハナミドリ」、4th「フォレストーン」、5th「ミズカネ」と、hozzyの哲学世界はどんどん深みを増していき、藤森真一は対照的にストレートで分かりやすい歌詞とサウンドを極めていきます。

hozzy氏はこの辺りから"エスペラント語"という言語を使用した曲名や歌詞を多用するようになり、完全に「何言ってんだこいつ」状態の曲もたまーにあります。

気になる人は"シータムン"で検索してみよう。

 

というように、中期から後期にかけて藍坊主というバンドの中で音楽の方向性が二極化するという珍しい現象が起きたのです。

ここが藍坊主の難解な部分であり、ものすごい大きな魅力だと思います。もちろん色んな意見があるだろうけど、一つのバンドでこなす音楽の幅が広いのは単純に実力とチームワークが優れているからできることですよね。

 

 

さて、ここからはようやくジムノペディックの本髄をしゃぶり尽くしていきたいと思います。

 

 

 

無機質な叫び

 

 

この曲のタイトル「ジムノペディック」という言葉はhozzyによる造語で、作曲家のエリック・サティの楽曲「ジムノペディ」が元となっています。この曲の歌詞にも"サティのピアノ曲"というフレーズが出てきますね。

 

このサティという作曲家の楽曲は、印象主義という現代音楽におけるジャンルみたいなものに属していて、印象主義っつうのは簡単に言うと静止画や風景画をイメージした音楽性で、無機質でリズムのない音楽みたいなことです。分かんない人はジムノペディを聴いてくれ。おしゃれなYouTuberとかがよく使ってるアレです。

 

要するに、このジムノペディックという楽曲が前提として、サティの楽曲のような無機質で静的な世界観を表現しているんですね。この時点で青春パンクのパの字も無いほど実験的な音楽なんですよね。暗いよ。曲が。単純に。

 

そしてここでも健在hozzy氏の哲学世界。ベースは情景描写や抽象的なイメージもありながら、明らかに他者に何かを訴える熱みたいなものは感じられますよね。

 

別に世界は何の変哲もないいつもの世界なんだけど、それが何かの拍子で不満に感じたり怖くなったりするような、何も違和感がないという違和感みたいなものを訴えかけているような気がするんですよね。

 

1サビ2サビの最後、「もう一度君に会いに"行く"」のではなく、「会いに"くる"」という言葉で締めているのも、何か哲学的な意味を感じる締め方でグッと来るものがあります。実に奥深い。藍坊主。

 

かといって曲が難解な訳ではなく、メロディーや展開はポップスとして誰もが耳にスッと入るキャッチーさがあって、別にクラシックとか印象なんちゃらとか何も分からなくても、何となくで感じられる冷たさとか体温の無さみたいなものが音越しに伝わってくる感覚がありますね。

 

藍坊主の音楽的構造はシンプルに見えてめちゃくちゃ奥深くて、単純にピアノやシンセの音数や配置もめちゃくちゃ凝ってて、高校生の頃に中期の藍坊主のアルバムのバンドスコアを見たことがあるんですが、後にも先にもロックバンドのドラムのフレーズで5連符が出てきたのは藍坊主だけです。誰が再現できんねんと。

 

そんな音楽的造詣に長けたメンバーだからこそ、パンクからポップスからプログレまで幅広い音楽性を一つのバンドとしてまとめ上げることができていると思います。

現に最近のライブでも初期のパンクナンバーをよく披露するし、ファンもそういう曲が来たら一気にパンクのノリに変わってモッシュが起きたりします。そういう意味では一番すごいのはファン。

 

 

 

***

 

 

藍坊主というバンドを初めて知ってくれた方、初期から聴くか後期を聴くか、まずは好みだなと思った方から聴いてみてください。

初期は「鞄の中、心の中」、後期はアニメTIGER&BUNNYのエンディングにもなった「星のすみか」辺りが代表曲かと思います。

どちらも違った魅力があります。どう聴いても別バンドだけど。

 

 

 

今回はこの辺で。次回は「く」から始まる名曲を紹介します。

 

 

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